運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
94件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1973-06-20 第71回国会 衆議院 懲罰委員会 第7号

もう一つ、あなたはやはり、この土地が駅の周辺地域であるということにこだわっておられますが、この点については、四十八年六月六日の懲罰委員会野田毅委員が、「一里半という距離は、たとえば新宿と新橋ぐらい離れておるんだ、国会を中心にして言えば、駒込、巣鴨あるいは幡ケ谷あるいは小松川の先、」こういうふうなところは周辺地域という通常の常識的な概念に入らないじゃないかということを、まさに指摘しておるのです。

羽田野忠文

1973-06-13 第71回国会 衆議院 懲罰委員会 第6号

まさに石倉地区のことを言っているわけで、それを一・五里というところを、あるいは一里半というところを一・五キロと言っただけで、もの自体石倉地区のことを言っているんだから、ないものをあると言っているのじゃなくて、あるものをあると言って、そこの距離が違っておる、言い間違えたというだけじゃないか。その点は、あなただって現にここで言い間違いの見本を示されているわけだから、そういうことはあり得るわけですね。

東中光雄

1973-06-06 第71回国会 衆議院 懲罰委員会 第5号

また、一・五キロメートルという数字は、身上弁明の際に、一・五里を一・五キロと言い違えたにすぎず、駅周辺地域であることに変わりないんだと小林君は主張されておられるのでありますが、通常、常識的に考えて、里という単位を用いるならば、一・五里という言い方ではなく、むしろ一里半というような言い方をするのが、まあ普通であろうと思います。

野田毅

1972-04-14 第68回国会 参議院 予算委員会 第11号

私は三重県でございますが、松阪から一里半診療所医師を迎えようとしても、学校を卒業して医師試験を通ったばかりの者でも、月額六十万円、官舎つき、それでもいやだと言うて、得られないというので、非常に弱っておるようなわけでございますが、これらはいまの自治体病院その他、医者をその僻地に迎えることのできるための医者養成方法等もいろいろとそれぞれくふうしておられますが、そういうことも勘案いたしまして、いまの

斎藤昇

1971-04-13 第65回国会 衆議院 内閣委員会 第14号

つまり一里、一里半も離れているところでお医者が間に合わないから、養護教諭だからちょっとした手当てはできるのです。そのために養護教諭というのは養護という名前がついておるので、だから血をとめる、ちょっとしたけがの軽い手当てはできる。また人間のからだの構造も一応勉強しておる人なんですから、教育者であると同時にちょっとした手当てができるために養護という名がついている。

受田新吉

1969-06-24 第61回国会 参議院 地方行政委員会 第19号

千葉千代世君 たとえば、三浦半島と房総半島とずっとこう両方あって、湾を置いて、あそこを私ら泳いで渡ったんですが、走水とあそこのところ——金谷海岸ですね、ちょっとこっちが富津ですか、あそこのところはどのくらいですか、昔二里半と言ったんですが、いま何と言っていいんでしょうか、キロメートル——十キロ。

千葉千代世

1968-05-09 第58回国会 衆議院 内閣委員会 第21号

私の秘書も今度そういうところに引っ越したのですけれども、しょうがないから夜看板を出しておいて、病人ができると私の秘書が使っている車で患者さんを一里半も先のところに連れていくというのです。そうなっているところに市があっせんして医者に行ってもらっても、さっぱりどうにもならぬという。これはもうひどいものです。  だから、こういうところを皆さんのほうでよく実情をお調べいただきたい。

大出俊

1968-03-05 第58回国会 参議院 運輸委員会 第5号

里半です。今度、西のほうへ行きますと、十三・五キロです。まあ少々の違いはありますが、約十三・五キロのところに光市があります。流動客利用者が多いと言うならば、普通、急行区間というものはどのぐらいになっているか、まあちなみに山陽線を考えてみますと、山陽線に入ったとたんによう急行はとまります。急行変じて鈍行となるというようなことがあります。

田代富士男

1965-12-01 第50回国会 参議院 日韓条約等特別委員会公聴会 第1号

そうして農業をやっているうちに、大正五年の春、私の父の治三郎は、重病にて長わずらいをいたしまして、僻地なれば近所には医師もありませんで、いたしかたがなく四里半くらい離れました霊岩というところの内山医院に足を運びまして、朝は一番鳥ごろに起きて、まっ暗な道を月出山という険難な道を越えまして、十六歳の少年が一人で往復里半の道を通っておったのであります。

平野佐八

1965-10-04 第49回国会 衆議院 文教委員会 第3号

自分のオートバイを使って自分ガソリンを消費して、本校往復三十六キロ、地教委に対しては五十五キロ、十四里ですね、本校に対しては十八キロ、四里半である、それから役場の支所に対しては三十四キロ、これは八里半、等への公用を達するほか、バイクのない女教師送り迎え等をやっているが、その経費はガソリン代月額七千九百二十円にもなるのに——修理も含んでいると思いますが、この償いがされておりません。

山中吾郎

1965-02-23 第48回国会 衆議院 農林水産委員会 第7号

十八キロといえば、里程にして四里半でしょう。そうして今後財源確保はどうなるかわからぬ。しかも今後五ヵ年間の予定は三路線で百二十八キロしかやらないということになれば、これは、緊急急速にやらなければならぬ大規模な林道というものは、全く森林計画の十ヵ年の過程においては放置されたということにしかならないわけです。そうじゃないですか。

芳賀貢

1964-06-17 第46回国会 参議院 本会議 第28号

そこから車に乗って県庁へ行こうと思いましたけれども、もう車は全然ありませんし、また、かりに車を動かしても、飛行場へ至る道が全部途絶いたしておりまするので、私、地理が不案内でしたけれども、県庁まで約一里半ばかりあるが、しかたがないから歩こうという決意をいたしましたが、それでも時間がかかりますから、ヘリコプターの搭乗員といろいろ協議をいたしまして、とにかく県庁の近くにある先般国体をやりました競技場へ入ってくれぬかということを

赤澤正道

1962-04-10 第40回国会 衆議院 オリンピック東京大会準備促進特別委員会 第4号

この用地の問題につきまして、埼玉県当局、クレー協会組織委員会のわれわれとでいろいろ協議をいたしました結果、二、三の候補を選定したわけでございますが、現在最も有望と考えられております線は、平岡先生はとっくに御承知だと思いますが、川越街道を横切って参ります浦和-所沢線という、行政協定によってできました道路がございますが、その道路の中間、朝霞から参りますと約二里半、自動車の時間にいたしまして約十五分、地名

岡部十三郎

1961-09-01 第38回国会 参議院 農林水産委員会 閉会後第5号

これは長さは約昔は二里半ぐらいのものだった、ところがそれを約一キロ半くらい、六キロぐらい下へ下げて、そうして信濃川の分水まで下げている、そういう川がある、そういう用排水路がありますが、そこにつけられたせきというものは二つあります。閘門は二つあります。第一番のせきは長呂というところにある、これでまず一つつっかえてしまう。第二番目は真野代というところに、最後のところにある。

清澤俊英

1961-04-06 第38回国会 参議院 法務委員会 第10号

たとえば、また私は自分の住んでいる所が一番わかりますから、板橋なんという所は縦が二里半、横が一里半実に広範な地域です。新開地です。至る所に問題の起こりそうな暗い路地が残っております。警官は全力をあげている、私調べた限りでは。ところが駐在所というのは三十カ所きりしかない。戦前は十九カ所あった。十六万の人口がふえたのに、そのおまわりさんのいる所はたったそれより倍にもふえていない。

高田なほ子

1960-02-17 第34回国会 参議院 予算委員会 第4号

それで先生が非常にびっくりして病気じゃないか、こういうわけで心配をしたのでありますけれども、この子供は朝五時に起きて二里半の道を歩いて、これは小学校の一年生、その子供が疲れて、いすからころび落ちた。そういうような通学難のところがあるわけなんです。私はそういうようなことを考えて参りますると、すし詰め教室の解消というようなことはまだまだ楽な問題であろう、こう考えるわけであります。

東隆

1959-11-19 第33回国会 参議院 農林水産委員会 第8号

自動車道路までには停車場から約一里半ぐらいある。こういう山の奥であります。従いまして、今までお借りしました金の大部分というものは、道路にかけてしまっておる。道路にかけておる。そうしてその道路も、総括的に聞きますと、町村へ移管した場合もある。移管しない部分は、こういう災害になりますと、全部自分で直さなけりゃならぬ。

清澤俊英

1958-08-12 第29回国会 衆議院 逓信委員会 第9号

わずか一里半かそこらの近くのところに局があるのに、松本市というものだから松本市におろしてしまう、松本市ではまたあくる日鉄道に積み込んで持っていくというようなことをやるから、おくれるに違いない。それを一本に集配することはわけないことだろうと思う。そういうところはすぐ取り上げてしかるべきだと思いますが、どうでしょう。

小沢貞孝